道徳に対する懐疑主義者

教育とか道徳ということが嫌いだったからである。「私は教育者なので、道徳ということを教えてあげます」とでも言いたげな、あの教育者のもっている偽善が子どもの時から大嫌いであった。戦前の教育を受けたので、小学校の時から修身(しゅうしん)というものを習った。修身の時間は中学に入ってもあったが、それは大抵校長か教頭の受け持つ課目であり、退屈極まりない授業であった。修身の時間にはよそ事を考えて、殆ど聞いていなかったが、やはりそういう態度が反映してか、修身は一度も「甲」をもらったことはなかった。

旧制高校の時代に西田幾多郎の「善の研究」を読んで、西田幾多郎のような哲学者になろうと思った。そして、彼がかつて教授であり、彼の弟子たちが。教鞭(きょうべん)をとっている京都大学の哲学科に入ったが、この旧制高校と大学との間にわずか半年間であるが軍隊生活があった。先輩が多く戦争で死に、また空襲によって死んだ多くの人間を見ていたので、戦争からよもや生きて帰れるとは思いもしなかった。

戦後大学に戻っても、死の想念から容易に逃れることはできなかった。それで、その死の想念を中心に哲学体系をこしらえたマルチン・ハイデッガーの「存在と時間」に熱中し、学生時代のほとんどをハイデッガーとともに暮らしたわけであるが、ハイデッガーの書物とともに、学生時代の精神の友だった日本の作家がいる。

それは坂口安吾である。私は安吾のもっている巨大な虚無に強く惹かれたのである。そしてハイデッガーとその思想的な師にあたると思われるフリードリッヒ・ニーチェを通じて、本場ヨーロッパのニヒリズムの洗礼を受けたのである。ニヒリズムの洗礼を受けることによって、道徳に対する懐疑主義者になったのである。

明治以後日本でもっとも尊敬されてきた哲学はドイツ観念論であり、ドイツ観念論の哲学者のなかでも、とりわけイマニュエル・カントであった。彼の哲学を一言で言うのはむずかしいが、もしも一言で言えといわれたら、それは実践理性の優位ということであろう。つまり科学的理性より、むしろ道徳的理性のほうが上だというのである。

カントの道徳の中心に人格ということがあった。「自分および他人の人格を単に手段としてではなく同時に目的として取り扱え・・・」それがカントの哲学であるが、カントは嫌いであった。何か仰々しく、もったいぶって人格の尊重などと言うやつは偽善者であると私は思っていた。

わずかな軍隊生活で人間というものがどんなに陋劣(ろうれつ)なものかを見てきたつもりであった。その私の経験をニヒリズムの哲学で裏付けて、私は道徳の否定者であろうとしたのである。この道徳の否定者であろうとした若い日、数々の愚行を重ね、殆ど生きた屍のような何年かを送った。やがてそこから私は癒され、道徳の否定者というあり方を捨てたが、しかし依然として道徳に対する懐疑主義者であったのである。

— posted by St.Mac at 01:42 am  

「オウム真理教事件」を見過ごしてはいけない

今の教育について深く危機感を覚えるのは、オウム真理教の事件にショックを受けたからである。オウム真理教の事件は劇画的とも言える誠に大胆で、無謀な殺人事件として日本の多くの人に衝撃を与えた。オウム真理教は、自ら1つの宗教教団と名乗る。それは思想的には空海の真言密教をチベット密教によって変形したものと言えるのである。

日本の仏教系の新興宗教は宗教日蓮宗から出た宗教が殆どであるが真言密教からの新興宗教が出てもいいのではないかと言われた。阿含宗の教祖桐山靖男氏はおそらくこういう言説を読んで、真言密教を原始仏教と結びつけて阿含宗なる教団を組織したのであろうが、オウム真理教の麻原彰晃教祖は一時阿含宗に身を置いていた。しかし、それに満足せずオウム真理教の基を成すオウム神仙の会を発足させた。もしも教義的にオウム真理教が阿含宗と違う点があるとすれば、オウム真理教はチベット密教の影響を受け、その思想を取り入れている点であろう。

阿含宗はやはり中国から日本に伝わった漢訳仏典による仏教の匂いが強いが、オウム真理教はその名称からいってチベット仏教の色彩が強い。そしてオウム真理教で語られる教義は漢訳仏教の経典よりはチベット仏教の経典の匂いがするのである。言ってみれば、阿含宗が中国の匂いがするのに対して、オウム真理教はインド、チベットの匂いがするのである。とすればオウム真理教事件は、1つの宗教の事件なのである。宗教の事件であるならば、宗教に強い関心を持つ者にとっては見過ごすことの出来ない事なのである。オウム真理教の事件について論じないわけにはいかない。それを見過ごしてはいけないのである。

このオウム真理教事件は狂気の宗教家、麻原彰晃の心の闇が起こした事件に違いないが、忘れてならないのは、教祖には少なくとも1000人の出家信者と約1万人と称する在家信者がいるということである。しかもこの麻原教祖の周辺には、村井秀夫や上祐史浩や土谷正美や青山吉伸弁護士などの鈴々(そうそう)たるインテリが、肩を並べて麻原教祖の寵愛を争っていた。その様は、石井久子やかつて上祐の恋人だった都澤和子がその美貌と肉体でもって麻原教祖の歓心を得ようとしているのと異ならないのである。

このような知識人たちが平気でサリンをつくり、サリンを撒いて大量の殺人を犯したのであるが、どうしてそのような知識人たちがこの麻原教祖の無謀な殺人計画に同意をし、しかもその実行部隊の1人になり得たのであろうか。マスコミはこのようなオウム真理教の幹部の生い立ちに対する聞き込みを行なっているが、異口同音に返ってくる答えは、一様に子どもの時からいい子で、学校も大変よくできたという答えである。

土谷正美の大学時代の先生は、彼は抜群の創造的な頭脳を持っていたと言い、青山弁護士は京都大学でも1学年に1人か2人という、在学中に司法試験に合格した秀才であったという。もちろん秀才のすべてが素行善良であるとは言えないが、彼らは親の言うことをよく聞き、女性関係にもスキャンダルらしいものは殆どなかったというのである。いわば彼らは「模範的優等生」なのである。その模範的優等生が決して知識人であるとは思われない麻原教祖の講演を聞き、書物を読み、それに魅せられ、オウム真理教に入信し、教祖に認められて幹部になり、ついに大量無差別殺人という最も恐るべき犯罪を犯したのである。

麻原教祖はオウム真理教に反対したら地獄に落ちると脅したそうであるが、その麻原教祖の命令に従って彼らは殺人を犯し、これから罪の裁きを受けようとしている。彼らは来世ではなく、この世で無間地獄に落ちたのである。彼らの輝かしい学歴にはふさわしくない残酷きわまりない犯罪を起こして、おそらく今後彼らは地獄の苦悩を経験しなくてはならないであろうか、残された家族も彼ら以上に長い、苦しい、救いのない地獄を経験しなくてはならないであろう。

麻原教祖は悪行の限りを尽くしたのであるから、地獄に落ちても仕方がないが、しかし残された彼の子どもたちが哀れであろう。おそらく子どもたちは殺人鬼の子として想像を絶する侮蔑と嘲笑に堪えねばならないだろう。「親の因果が子に報い」という言葉があるが、それはあまりに哀れであると思われる。仏教では地獄に落ちた人間を救うのは地蔵のみであるが、今度この事件で地獄に落ちた麻原教祖などの亡者を地蔵菩薩も救ってくれるかどうかはわからないのである。

ここで村井や土谷のような、いわば「いい子」で、しかも学業優秀である人間が易々とオウム真理教に入信し、麻原の非道な殺人計画を止めようともせず、むしろその計画の先棒を担ぎ、自らその優れた科学知識でもってサリンなどを製造し、そしてまた自らの手でその殺人を行なったということに深い関心を持つのである。一体どうして彼らはそのような行為に及んだか。彼らが学校で受けた教育というものがそのような殺人行為を防止する歯止めとならず、かえって学校で学んだ知識を殺人行為に役立てたのはどういうわけか。一体彼らにとって教育とは何であろうか。

このように考えたときに、宗教と教育の問題を根本的に考えようと思ったのである。宗教ということと教育というものは直接結びつかない。宗教教育はむしろ国立や公立の学校では禁止されている。特定の宗教の立場に立ち、それを教えるということは公共教育でしてはいけないことかもしれない。しかし宗教について理解を深めるということは十分学校教育でしてよいものであると思う。

たとえば宗教というものは人間生活にとってどのような意味をもっているか。そして仏教というものはどのような教えであり、キリスト教というものはどのような教えであるか、それはどういう所がよくて、どういう所に欠点があるかを少なくとも中学校や高等学校で教えてもよいと、私は思う。しかしそういうことは学校でまったく教えられず、宗教については歴史の時間に少し教えられるだけである。

しかし宗教以上に教えられなくてはならないこと、それは道徳である。人間が何をすべきであり、何をしてはいけないか、、そういうことを教えなかったら教育はありえない。かつては道徳は宗教の僕(しもべ)であった。しかし近代になって人間が宗教の束縛を脱するようになると、宗教を離れた道徳そのものが求められたのである。もちろんそういう宗教から離れた道徳が可能かどうかは議論の余地かあるが、やはり何らかの道徳がなかったら社会の秩序は保たれず、教育ということもありえないのである。

— posted by St.Mac at 12:16 am