戦後教育がサリン事件を引き起こした

戦後の日本の教育は、もっぱら日本を科学技術の発展した豊かな経済国家にしようとする方針で行なわれたのである。そこでは教育の理念というものをまったく失っていたと言ってよい。たとえば、戦後教育は、平和と民主主義の教育といってよいかもしれないが、平和と民主主義というだけでは、なんら確固とした道徳にはならない。それは、ただ、人間がおとなしく、他の人間と協調してやっていく、それが善であると教えるのである。それではまったく道徳について、心について何も教えないのと同じである。

そして、戦後の男性は、自分が生きていくための確固たる道徳をもたなかったように思われる。それで家庭教育はおもに母親にまかせられる。母親は、わが子がかわいくて、わが子がよい大学に入り、よい会社に入ることのみを望む。このようにして道徳についても、心についても何も教えられることなく、ただ彼らは、受験戦争に勝ち抜く知恵のみを教えられるのである。

オウム真理教の幹部となった人たちの多くは自然科学畑の出身者である。麻原が宗教について自分より知識があるかもしれない文科系の人たちを敬遠し、宗教に対してほとんど知識がないと思われる理科系の人を重用したのはけっして理由のないことではないが、彼の教義が結局、現実社会の徹底的否定にあり、その破壊にあるとしたならば、サリンなどの製造に有効な知識を与える科学技術者が重宝されるのは当たり前である。

そして彼らは宗教についてまったく知識をもたず、この幼稚とも思われる麻原の理論に唯々(いい)として従ってしまったのである・少しでも宗教の知識があればオウム真理教の教義に疑問をもつにちがいない。自然科学においてのあれほど精密な思弁を展開できる彼らが、宗教についてあれほど幼稚な理論にひっかかったのは、ほとんど信じられないが、これかまさに戦後教育なのである。

何よりも驚愕するのは、そういうエリート中のエリートがサリン製造に関わったばかりか、地下鉄でサリンを撒いて犯罪者になったことである。その場合になんらかの道徳的抑制がはたらかなかったのだろうか。彼らに道徳的抑制かはたらかなかったとしたならば、彼らが長い間受けてきた教育とは何であろうか。

ここにきてわれわれは、教育ということを根本的に考え直す必要に迫られている。ピョートルもやはり、宗教も道徳も信じない、あのステパンの教育の産物であった。われわれの戦後の社会にはステパン氏に似た評論家が大手を振って歩き、無責任な言説を垂れ流したのである。そのいわば心の教育の不在がこのような青年を生み、あのような事件を起こしたといえる。これは日本人の心の危機である。ここで今日の教育のあり方について考え直さなければならない。

戦後の教育改革:文部科学省

戦後教育暗黒史

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麻原の心のルサンチマンが引き起こした事件

今回のオウム真理教事件はやはり麻原彰晃というオウム真理教教祖の心から起こったことであると思う。この麻原彰晃という男はどういう人間か。彼は熊本県の八代市の貧しい畳職人の家の四男として生まれた。食うや食わずの貧乏生活をおくる家において、かならずしも子どもの出生が歓迎されたとは思われない。

そして彼は弱視であり、それを理由にして、ほぼ全盲の子どもか行く盲学校に入れられたが、普通の小学校にも行けたのに、盲学校に行けばまったくおカネがかからず、子どもの養育の費用が助かるという理由で盲学校に入れられたという。いわば彼は幼い時から父母のもとから引き離されて、施設の子となったのである。

盲学校において、多少弱視であってもまだ目が見える彼は全盲の子どもたちよりはるかに優位に置かれている。そして彼は並外れた体力をもっていたので、そういう全盲の子どもたちに対して、優越を示すことができ、そこで暴君的に全盲の子どもたちを支配したというのである。ここで彼は人間の関係というものは所詮支配・被支配の関係であり、強者だけか弱者を支配できるという、そういう思想を身につけたにちがいないが、これがのちにオウム真理教の組織原理になるのであろう。

このような麻原彰晃の心に深いルサンチマンがあったことはまちがいない。それが直接には自分を捨てた父親に対する恨みであるが、それは世界そのものに対する恨みとなる。そして彼は自分よりはるかに劣者だと思われる他の盲学校の生徒を支配することによって、このルサンチマンの憂さ晴らしをするのである。

盲学校を終えた彼は上京して、東大の法学部に入ろうとする。おそらく盲学校の出身者が東大に合格するのは客観的にみてたいへんむずかしいことであろう。しかし彼は頑として東大法学部受験の意志を変えない。東大の法学部を卒業して、政治家になり、自民党の代議士になり、やがて総理大臣になるという巨大な夢を彼はもつ。これはまさに彼のルサンチマンの裏側にある巨大な権力意志である。彼は権力を得て、彼を圧迫した日本の社会に復讐しようとしたわけである。

しかしこの希望はやがて絶望に終わる。様々な挫折体験ののちに新しく彼が目指しだのは宗教であった。宗教は現実世界とは別の一つの理念的世界を想定する。現実世界においてけっして支配者になれなかった彼は、自らの創案したその宗教的世界においては王者として君臨することができた。

宗教教団というものは、現世の価値秩序とはちがう別の価値体系をもつものであるから、彼はそういう現世的秩序とは別の価値体系を創造しそのトップの座に坐ることができた。オウム真理教は急速に組織を肥大化させていくが、組織が肥大化すればするほど麻原彰晃は巨大組織の長としてほとんど専制的と言えるほどの権力を教団のなかで振るうこともできた。そしてそのために彼は仏教、キリスト教、ヒンズー教の利用できるものはすべて利用したのである。

仏教に関して言えば、彼は出家の概念を伝統仏教とまったく意味を変えてしまったのである。釈迦すなわちシッダルタは釈迦国の王子であったが、29歳の時に家を出て、修行者の群れに身を投じた。出家というものは身のまわりのものだけをもって家を出て、いわば乞食になることであった。釈迦国はもちろん一つの王国であり、多くの財産をもっていたにちかいないが、その家族や財産を捨てて、釈迦は出家したのである。

ところが麻原彰晃はこの出家の概念をまったく変えてしまったのである。ここでは出家というのは全財産をオウム教団に寄付し、自らも出家者になることであるが、自らが出家者になることは二の次で、全財産を教団に寄付することのほうがより大切なことであるとされるのである。

暇谷(かりや)さん事件も、妹の出家、すなわち財産の強奪を妨げようとした暇谷さんを消してしまおうとする教団の犯罪であるが、このように出家という概念を仏教本来の意味とはまったく変えてしまったところに麻原の創意があったのである。おそらく釈迦以来、出家の概念を財産の強奪の手段とするような解釈をした仏教者はあるまい。

またキリスト教の終末論をもまったく麻原流に変えてしまったのである。キリスト教では終末論的な思想があり、とくにヨハネの黙示録にはそういう考え方が強い。イエスは磔(はりつけ)にかかったが、けっしてイエスは死んでしまったのではない。彼はまちがいなく天国にいるのである。この天国にいるイエスがやがてまた地上に帰ってくる。それがイエスの再臨である。その時こそ神の国が到来する時であり、その時貧しき者を圧迫していた地上の権力は滅び、貧しき者がこの世の支配者になる、と説く。

この終末の時をキリスト教徒は強く待望し、その時がイエスの生きているうちに来るのではないか、あるいはイエスの弟子のうちでもっとも長生きをしたペテロが生きているうちに来るのではないか、あるいはイエスの死後百年後、二百年後、千年後に来るのではないかと期待したが、イエスは現在に至るまで再臨せず、イエスの死後やがて二千年になるが、イエスの死の千年後とはちがって、イエスの再臨を待望する声はあまり聞こえてこない。

麻原彰晃はそのキリスト教の終末論を最大限に利用するのである。きっと最終戦争ハルマゲドンが起こるにちがいない。最終戦争とは第三次世界大戦である。そのような最終戦争か起こった場合に、オウムの信者だけが生き残って、新しい神の国をつくることができる。麻原彰晃がこのような神の国の創造の計画を本当に信じたかどうかはよくわからない。

おそらくそのようなことを彼のまわりの信者に話しているうちに、それはあたかも起こりえることのように幻想されたにちかいないのである。そしてそのような幻想に基づいて、ハルマゲドンを起こすことが必要であり、そのためには神の国の選民以外の多くの人間を殺さねばならぬと彼は真剣に考えたのであろう。

この終末論は、キリスト教の終末論の意味をまったく変えてしまったのである。キリスト教の終末論では、キリスト教の信者は地上の権力にけっして抵抗してはいけない。むしろ地上の権力の犠牲になることによって天国への入場が保証されるというわけである。

これがキリスト教の無抵抗の愛であり、この無抵抗の愛こそキリスト教の道徳のなかでもっとも美しいものであり、それによってキリスト教は今日のような大きな宗教となったのである。弾圧においてけっして信仰を捨てず、弾圧する側に対して愛をもって臨み、笑って十字架にかかる。こういう信仰の人を前にして弾圧者もじゅうぶん暴力を振るうことはできず、またその尊い犠牲の死によって信者は拡大したのである。

麻原彰晃のハルマゲドンの解釈はキリスト教の終末論を殺人の肯定に変えてしまった。この点に驚くべき麻原の創意がある。麻原は仏教やキリスト教よりヒンズー教の信者であるように思われる。彼はシバ神が好きで、サリン事件か起こった時に「シバ神にポアされてよかったね」と語ったという。第七サティアンにつくられた巨大なシバ神の像はサリン製造を隠すためだと伝えられたか、それのみではあるまい。そこにはやはり破壊の神シバ神への麻原彰晃の深い思い入れがあろう。

シバ神は仏教では大自在天(だいじざいてん)と同一化され、それは梵天とともに仏の足で踏みしだかれているのである。それは仏教がヒンズー教を、その前身のバラモン教を否定したことを示しているが、シバ神そのものは破壊神とともに創造神の面をもっている。麻原は創造神としてのシバ神を尊敬せず、もっぱら破壊神としてのシバ神を信仰したように思われる。

このように考えると、オウム真理教の教義は仏教、キリスト教、ヒンズー教の混ざものであるが、これはやはりそのいずれをも麻原流に教義が変更され、神は財産強奪と殺人肯定、秩序破壊の神となっているのである。その点彼の理論には一貫性があり、新しい宗教をつくったと言えるかもしれない。

おそらく麻原彰晃という人間は二つの相異なる人格をもっていたにちがいない。一つは純粋な修行者としての、宗教者としての麻原である。一万人の信者を獲得するにはやはり優れた宗教者であることが必要である。麻原彰晃がそういう宗教者の面をもっていたことは否定できない。

宗教者というものには何よりも人間の魂についての深い理解と神秘的なものを直感する能力が必要である。麻原彰晃がそのような能力をもっていたことは否定できないであろう。しかし彼が瞑想と称するもののなかで思索したのは霊的な世界の知恵より、むしろ現実の信者を支配する世俗的な智恵であったように私には思われる。しかし霊的な世界が彼の瞑想のなかにまったく存在しなかったということはできないであろう。

麻原彰晃は宗教についてたいして勉強しているとは思われず、宗教についての知識はおそらく大学の宗教科の学生ほどであると思われるが、宗教者であることは宗教についての知識のあることではない。禅宗の五祖が使役していた慧能(えのう)を自分の後継者としたのは、慧能のなかに宗教者としての優れた霊的能力を見たからであろうが、麻原彰晃がそのようにある程度の霊的な能力をもっていたことは否定できない。

麻原彰晃という人間のなかに、純粋な宗教的人格があるのはまちがいないが、彼のなかにはもう一つの人格が存在するのである。それはルサンチマンに満ちた彼の実力をはるかに超えた巨大なことをしようとする途方もない権力意志である。その権力意志は、彼が宗教的に建設した理念的世界を、この現世的世界の上に置き、現世的世界をそれによって征服しようとするのである。その征服の意志は、現実には破壊の意志として現れる。

そして、その破壊の意志は、サリンや銃器を製造し、あるいは、ヘリコプター、戦車を使う、巨大な戦いの幻想となって出現するのである。おそらく麻原にはこうした二つの自己が存在したと思われるが、時とともに後者の意志が前者の意志より巨大となり、数々の殺人事件を起こし、ついに地下鉄サリソ事件を起こしたのである。そして、そこで彼の権力意志の全貌が明らかになったのである。

彼は自らを法皇(ほうおう)と称したが、法皇と言われるのは日本の歴史上でも聖徳太子および道鏡のみである。彼は宗教世界の支配者であると同時に現実世界の支配者になろうとしたのである。それはルサンチマンと一体になった彼の分不相応な権力意志の表出であった。

この麻原の無謀な計画を支えたのは彼の腹心たちである。その腹心たちは多く高学歴であり、いずれも優等生である。オウム真理教問題の一番の謎は、なぜ高学歴の優等生たちが、学歴のないけっして知識人とは言えない麻原に魅せられたようにオウム真理教に入信し、麻原に奴隷のように酷使されたのか、ということである。この謎を解くには、彼ら腹心たちが受けた教育を考えなければならない。

— posted by St.Mac at 03:35 pm  

 

無神論者を生み出す条件

このような人間はどのようにして生まれてきたのか。私はここで三つの条件を挙げなくてはならないと思う。一つは家庭の崩壊ということである。ピョートルもスタヴローギンもほとんど崩壊した家庭で生まれていて、普通の家庭のように父や母の愛情に育てられた人間ではなかった。

ピョートルはステパンと彼かほとんど愛情というものをもっていなかったと思われるスイス女の間に生まれた子であり、その妻とステパンはすぐに別れ、その後ピョートルは叔母の家で育てられたのである。そして父ともほとんど会ったこともなく、また父はその子がどういう人間になるかということにまったく関心がなかった。ピョートルは親の愛をもらわずに育ったかわいそうな子であると言わねばならない。

一方スタヴローギンのほうも、父とは別居し、母の男妾であるステパンに教育された。同じ家のなかで母と男妾が同居し、その男妾が息子の教育にあたっているという状況において、たとえ知的な教育は十分であったとしても、道徳的な教育か正しく行なわれると思うのは期待するほうがまちがっている。こういう状況のなかにおいて、道徳というものに強い嫌悪の心をもつスタヴローギンのごとき無神論者が生まれるのももっともなのである。

もう一つ、このような人間を生み出す原因として、やはり自由思想があるのであろう。その自由思想というのは、旧来の宗教や道徳を否定する。そして軽薄に宗教を否定するが、その結果がどうなるかを十分に問うていないのである。この小説でステパンはむしろ滑稽な人物の感がある。彼は二言目にはフランス語で気の利いた警句を発し教養をひけらかす。そして自分がむしろ権力によって迫害される人間であるというポーズを喜びながらも、コトがあると自分に禍(わざわい)が及ばないかとビクビクしている。そして彼はほとんど若い時に信じたあの危険な思想を否定するようになるが、それもまたはっきりせず、絶えず曖昧にワルワーラ夫人に甘えているのである。

ドストエフスキーは、このようないい加減な甘ったれの自由主義者から禍が生ずると考えているのではないかと思うか、その無神論が一方でその帰結を一段進めたピョートルのごとき恐ろしい破壊思想になり、もう一方でスタヴローギンのごときニヒリズムを生むとドストエフスキーは考えているのであろう。いわば神を信じない自由主義者から、このような人間が生まれるのであろうが、このような社会の転覆を謀(はか)る人間の心には深いルサンチマンが隠れていることをドストエフスキーは見逃してはいない。

小説ではステパンの周囲にいたリプーチンとか、ヴィルギンスキーとかいう人間がステパンの息子ピョートルの組織する秘密結社五人組に入って、この事件を起こすのであるが、彼らはすべて社会の下層に生きる人間であり、上層の人間に対する、それぞれ形のちがった深いルサンチマンをもっている。まったく息子を聯みず、勝手にワルワーラ夫人の男妾となったステパンにこのピョートルも怨みをもっていないはずはなく、その怨みが社会への怨みとなっている。共通なルサンチマンでもって、彼らは同志となり、この事件を起こしたと思われる。

このように、ドストエフスキーはピョートルやスタヴローギンのような無神論者が出てくる精神的背景を

  1. 家族関係の崩壊、父親の不在
  2. それを原因としている心の底に隠されたルサンチマン
  3. 自由主義的、無神論的思想の教育の影響

にあるとしている。これらのことを考えながら、今回のオウム真理教事件を考えてみょう。

— posted by St.Mac at 03:23 pm  

 

ドストエフスキーは今日の道徳的頽廃(たいはい)を予見していた

これから教育のことを論ずるわけであるが、それにはまずオウム事件を分析する必要がある。この事件が起こった時に、ドストエフスキーの「悪霊」という小説のことを思い出したのである。そして改めてこの「悪霊」という小説を読み直した。「悪霊」は数あるドストエフスキーの作品のなかでも「罪と罰」「白痴(はくち)」「カラマーゾフの兄弟」などとともに、もっとも傑作とされるものであるが、この小説はドストエフスキーが1869年に起こった「ネチャーエフ事件」にショックを受けて書いたものである。

ネチャーエフ事件というのは、ペテルブルグ大学の聴講生だったネチャーエフが、「人民の裁き」という秘密結社を組織し、現存社会の転覆を肩てていたが、同志の一人であるモスクワのペトロフスキー農業大学に籍を置いていたイフノフが脱退を申し出た時、密告の恐れありとして惨殺した事件をいうのである。この殺されたイワノフがドストエフスキーの夫人、アンナの弟の友人であり、この義弟の口からドストエフスキーはネチャーエフのことを聞き、創作意欲が起こったというのである。

今回のオウム真理教事件はネチャーエフ事件より事件の規模は比較にならないほど大きい。しかしオウム真理教事件でも麻原教祖は仲間の一人を殺したということがすでに明らかになっている。事件の大きさとその残虐性(ざんぎゃくせい)においてオウム真理教事件はネチャーエフ事件の比ではないが、しかしその思想について類似性がある。それはネチャーエフがこの現存の社会を悪と考え、その社会の転覆を意図し、そのためには殺人も辞せずと考えている点である。

このネチャーエフ事件をテーマにしたドストエフスキーの『悪霊』において、ネチャーエフにあたるのは、ステパン・トローフィ・モヴィッチ・ヴェルホーヴェンスキーの息子、作中ではピョートルと呼ばれる人物であろう。この人物が外国から新しい思想を携えて帰り、五人組を組織し、そして密告の恐れありとして仲間を、ちょうどネチャーエフ事件と同じように暗い夜の公園で殺すのである。このピョートルこそ外国から革命思想を移入し、この地に反乱を起こし、現存の社会制度を転覆しようとする、まさにレーニンの先駆者といってもよい人物である。

ドストエフスキーがこの小説を書いたのは1871年から72年にかけてであった。それから45年後、1917年に、もちろん革命家としてこの小説に書かれたピョートルよりははるかに優れた革命家であったか、ピョートルと同じ思想・・・社会に対して深い憎悪をもち、この社会を悪と考え、この社会を転覆することが歴史の使命と考え、そのためにはいかなる悪を犯してもかまわない・・・の持ち主のレーニンによってロシア革命が起こされたのである。

オウム真理教事件はネチャーエフ事件、および「悪霊」に書かれたピョートル事件と比べれば、はるかに規模は大きいが、ロシア革命と比べればまだまだ規模は小さい。考えようによっては、麻原がレーニンほど優れた革命家ではなく、オウム真理教の宗教理論がマルクスの理論ほどの一貫性をもたず、そのためにその信奉者も比較的少数に止まったのは不幸中の幸いと言わねばなるまい。

「悪霊」という小説の筋は簡単である。一般にドストエフスキーの小説はバルザックやトルストイの小説がもつような波瀾万丈のストーリーはない。劇の筋はむしろ単純で、そこで経過する時間はあまりに短い。しかし彼はその短い時間に起こった事件のことを綿々と語るのである。ドストエフスキーは一人ひとりの人間の内面に執拗に食らいつき、そしてその人間がどのような境遇に生まれ、どのような過去をもったかということを克明に語るのである。そしてドストエフスキーの目は一人ひとりの人間の心の奥に隠れている深い闇を見つめるのである。

一人ひとりの人間は心のなかに自尊心と屈辱とを秘めているのである。そしてこの自尊心と屈辱を秘めた人間が互いの利害の上にある関係を結ぶが、その関係はまさに不安定なものである。ドストエフスキーの小説では、こういう心のなかに巨大な闇や矛盾をもった人間が愛し合い、憎み合いながら狂わしい事件を次々と起こしていく。旧制高等学校の時代に、このドストエフスキーの小説を読んで、それ以来ドストエフスキーの小説の熱烈なる愛読者になった。人間とはどのようなものであるかをドストエフスキーに教おったと言える。ドストエフスキーから学んだのは私一人ではない。

かの十九世紀最大の哲学者と考えられるフリードリッヒ・ニーチエもこのドストエフスキーの小説を愛読し、彼は人間がルサンチマンの動物であることをドストエフスキーから学んだという意味のことを言っている。ルサンチマンというのは隠された怨恨とでも言ったらよいかと思う。多くの人間の心にはこのようなルサンチマン、すなわち隠された怨恨があり、それがしばしば巨大な思想を生んだり、大きな歴史的事件を引き起こしたりするのである。

ニーチェはキリスト教もかかるルサンチマンの産物と考えているか、ドストエフスキーの得意なのは、屈辱に満ち、汚辱にまみれた生活を送りながら、なお心のどこかに高い誇りをもち、その誇りが深いルサンチマンと表裏一体となっている複雑な人間を描くことであろう。こういう人間の心理描写にドストエフスキーは比類のない腕を振るうので、かえって事件の筋が曖昧になることすらあるのである。

この「悪霊」も筋らしい筋はほとんどないと言える。これはスクヴォレーシニキというロシアの小都会に起こった出来事であるが、そこにワルワーラという脚気(かっけ)持ちの婦人が住んでいた。それはある陸軍中将の夫人である。裕福な商人の娘で、彼女自身がかなりの土地と財産をもっているのである。その将軍とは生前から別居をしていたのであるが、彼女は自分の一人息子、スタヴローギンのために一人の家庭教師を雇う。その家庭教師がドナフ・ステパン・トローフィーモヴィッチ・ヴェルホ・ヴェンスキーというピョートルの父親なのである。

このステパンは、かつて進歩的思想の持ち主として一時代のロシアの思想界を風靡(ふうび)した。そしてロシアの大学でも教授の職をもっていたが、彼の思想の急進性のために大学を追われた。このかつては華やかな社会的名声を博し、今は職もないステパンにワルワーラ夫人は目をつけ、可愛い一人息子スタヴローギンの家庭教師として、夫人の家に住まわせたのである。ステパンはその後は何も書かずに、夫人には傑作をつくるっくると言いながら怠慢な日をおくり、名目はスタヴローギンの家庭教師として、実際はワルワーラ夫人の男妾(だんしょう)の地位に安住していたのである。

この町にはワルワーラ夫人とステパンを中心にして一つのサークルがつくられるが、そのサークルは文学的、かつ進歩的なサークルであり、多少危険な色彩をもっていたが、それもワルワーラ夫人の財力と社交性によって大目にみられていたのである。こういうところへピョートルとスタヴローギンが帰ってくるのである。ピョートルは一方で新しい県知事夫人と親交を結び、このスクヴォレーシニキの政治を支配するが、同時に密かに現存社会を転覆する使命をもった五人組を組織するのである。

事件はこの県知事夫人か主催する文学パーティの席で起こった。夫人がこのパーティの相談者としてだれよりも頼りにしていたピョートルがこのパーティに参加せず、このパーティを目茶苦茶にしたのである。そしてその日、このスクヴォレーシニキの町のところどころに五人組が来て放火を起こさせ、そしてまた殺人を行なわせ、またそういう事件を密告する恐れありとして仲間の一人を惨殺するのである。この小説ではピョートルはこのような事件を起こして、外国へ逃亡することになっている。

だいたい小説の筋はそのようなものであるが、ここでどうしても言っておかなくてはならないことがある。それはドストエフスキーと最初この小説の主人公として設定したピョートルという男より、本来この小説の脇役の一人にすぎなかったと思われる人物に異常な興味をもち、この人物にのめり込んでいったことである。これは多少劇や小説を書いた経験のある私にはよくわかることであるが、劇や小説を書いているうちに、最初主人公にしようとした人物にあまり興味がもてず、脇役の一人にすぎなかったような人物にむしろ興味が移っていき、そちらの人間に自己を一体化し、その結果その人物の描写に力か籠(こも)るということがしばしばある。

ドストエフスキーもどうやらこの小説を書いていくうちに、ピョートルという人間にあまり興味をもてず、かえってその事件の脇役にすぎなかった人間、スタヴローギンという人物に異常な興味をもちはじめたらしい。これはまともな小説家としては当然のことではないかと思うのである。なぜならこの社会に対して深い憎悪をもち、この社会を転覆するためには手段を選ばず、放火も殺人もかまわないと考えて、しかもいささかの良心の痛みも感じない、そういう革命家に小説家としてのドストエフスキーか親しみをもてなかったのは当然である。それで彼はピョートルという人間をわりにすげなく書き、かえってスタヴローギンに深入りしていくのである。

スタヴローギンというのは例の将軍とワルワーラ夫人の子であり、子どもの時からステパンについて教育を受け、のちに、ペテルブルグや、あるいはスイスに留学し、これまたピョートルのごとく無神論的革命思想の洗礼を受けて帰ってくるのである。彼は無神論者であるステパンに教育されたのであり、ピョートルと同じく無神論者であるが、彼は誠実にこの無神論の帰結を実行し、しかもその帰結に対し高邁(こうまい)な良心でもって悩むのである。

神を信じなければ道徳というものはありえず、いかなる卑劣なことをしてもかまわない、こういう哲学的命題を彼ははっきり自覚し、それを大胆にも実行に移すのである。そのために少し精神がおかしいびっこの無知な女と結婚し、そして多くの女と情交を重ねるのである。そしてスクヴォレーシニキに帰っても、初めは彼はワルワーラ夫人の一人息子であり、外国に留学した知識人として大いにもて囃(はや)されるが、突然わけのわからない醜悪な行動を、何の理由もなく、何の感情もなく起こすのである。

これはピョートルの思想とは同じ無神論から出発しなから、結論はまったくちがうのである。ピョートルは神を信じている今の社会を転覆する、その行動は絶対の善であり、そのためには何をしてもかまわないと考えるわけであるが、そこには誠実な苦悩なるものがまったく欠けているのである。しかしスタヴロ-ギンはその逆であり、彼は意識的に汚辱に満ちた行為を行なうわけであるか、その心に大きな誇りをもち、他人の痛みを痛みと感じ、自己を責める気持ちを、もちすぎるほどもっているのである。

つまり彼はどこかで旧(ふる)い道徳を保持しつつ、しかもこの無神論の結論と思われる道徳の否定を行ない、それによって、深い罪の呵責(かしゃく)を覚えるのである。この罪の呵責は、あの「罪と罰」でドストエフスキーが描いた金持ちの、まったくろくでなしの老婆を殺害したラスコーリニコフと共通であり、この罪の意識こそドストエフスキーは人聞か人間である所以であると考えていたようである。

ドストエフスキーの華麗な筆致にもかかわらず、このスタヴローギンという人間はよくわからない。この汚辱に満ちた行為と高邁な志という矛盾きわまるスタヴローギンという人間をじゅうぶん納得的に理解することは困難であると、私は思う。その意味でこのスタヴローギンという人物像の創造においてドストエフスキーの「悪霊」は失敗作であると思う。なおこの小説には自殺をもって人間の最高の自由の斟と考えているキリーロフなる人間が登場するが、このスタヴローギンの影のような人間で、キリーロフにはスタヴローギンよりいっそう人間の血肉は通っていない。

ドストエフスキーの最後の小説である「カラマーゾフの兄弟」でも、「悪霊」で取り扱った問題と同じような問題をドストエフスキーは取り扱っている。それはやはり神があるかないかという問題である。地主のフョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフという男に三人の子どもがあった。長男かドミートリイで、次男がイワンで、三男がアレクセイ(アリョーシャ)である。長男はたいへん衝動的な人間で、色欲に襲われると、どうすることもできないような性質をもっているが、その心根は純真であり、嘘の言えない人間である。そして次男イフンは大学で哲学や神学を学び、非常に頭のよい人間であるが、無神論者である。三男のアリョーシャは子どもの時から敬虔(けいけん)なロシア正教の信仰をもち、天性の宗教者である。

ある日フョードルはこの三人のカラマーゾフの兄弟に神があるかないかを問う。その時イワンは神はないと言い、アリョーシャは神はあると言う。イワンは神はなく、したがって宗教というものは人間のつくったいかがわしいものだと考えるわけであるが、もし神がないとしたら道徳もなく、道徳がなくなったら何をしてもかまわないということになる。そして、いかなる悪も許されるとしたならば、悪のなかの最大の悪である親殺しも許されると考える。イワンを崇拝するスメルジャコフ・・・じつはこの男はフョードルと女乞食の間にできた子どもであるらしく、とすればイワンの異母弟になる・・・は、このイワンの哲学的な結論にたいへん興味をもち、彼の父であると思われるフョードルを殺す。

ところがこの時ドミートリイがフョードルとの間に一人の女を巡って争いを起こしていた。フョードルを殺してやると言って、フョードルの家を訪れたので、ドミートリイが殺人者として検挙されるのである。ちょうどイワンは留守にしていたが、家に帰って事件後癲癇(てんかん)を起こして寝ていたスメルジャコフに会い、その事件はイワンの言葉に暗示されたスメルジャコフの起こした事件であることを知るのである。そしてイワンは彼の無神論が引き起こしたこの間接の殺人事件に大いに悩んで、法廷ではそれを打ち明けるが、彼の話は狂人の言葉として相手にされず、ドミートリイは犯人とされ、シベリアへ送られるのである。

「悪霊」のスタヴローギンは「カラマーゾフの兄弟」ではイワンになるわけであろうが、イワンの思想と感情はよく理解されるが、スタヴローギンのほうはいま一つわからない。やはりこの無神論者のニヒリストを描くという点で「悪霊」は「カラマーゾフの兄弟」に劣るのではないかと思われる。

「悪霊」の主人公はやはりピョートルであり、むしろこの小説でいちばんよく描けているのはピョートルの父ステパンであり、その愛人であるワルワーラ夫人であると思う。ドストエフスキーはここでステパンという、その思想においては進歩主義、自由主義、さらには無神論者でありながら、その生活においてはまさに農奴制(のうどせい)の上にあぐらをかく地主の夫人に養われるという、この矛盾きわまる何も信じない知識人ステパンからまさに二人の無神論者が出てきたことを語ろうとしているのであろう。

一人は、無神論の帰結として宗教の力によって統治されている現存社会の否定を志し、そしてそれを転覆させるためには殺人も辞せずという思想をもっ人間であり、もう一人は、無神論の帰結として神を信心ず、神を信じなかったらいかなる悪も許される、という哲学的結論の結果として大胆な道徳否定を行ない、醜悪きわまる行為を起こすが、それでも高潔な志を失わず、そしてその自ら犯した罪に誠実に悩む誇り高き魂の人間である。

ピョートルは事実ステパンの子であるが、スタヴローギンもまたステパンによって教育され、彼の無神論を引き継いでいるわけであるが、彼は将軍の父、および母から高潔な心を受け継ぎ、その汚辱に満ちた行動と、その高潔な心の矛盾に深い苦悩を覚える人間なのである。ドストエフスキーは、この小説でピョートルという人間はたしかに新しい人間であり、これからおそらくロシアにもこのような人間か増えてくるであろうと思うが、そのような人間はどうして生まれたかを執念深く追求したのであろう。

— posted by St.Mac at 02:34 pm  

 

二度にわたって価値基準の崩壊を経験した日本人

まだ体系的な哲学書を書いていないが、哲学書を書く場合も道徳とか教育という問題は避けて通ろうと思っていた。世界はこのようなものであり、人間はこのようなものであるということを提示すれば、おのずと人間はどう生きるべきかということが明らかになるはずである。なるべく道徳や教育を避けて通ろうとするのが現代の知恵であると、つい最近まで考えていたのである。

このような道徳に対する懐疑主義者は私一人ではあるまい。私と同時代の人たちは、多かれ少なかれそのような道徳に対する懐疑主義を心のなかに砂めている。それはおそらくわれわれに道徳的な価値基準を与えたイデオロギーが二回にわたって崩壊したことと関係あるにちがいない。

一つは戦前のいわゆる忠君愛国のイデオロギーである。このイデオロギーがどれだけ日本の庶民に浸透したかはたいへん疑問であるが、少なくともそのイデオロギーは学校教育で教えられ、そしておそらくは、知識人にとっても否定すべからざるものであった。日本でもっとも尊ばれた哲学者はカソトであったが、カント的な人格倫理を説く哲学者も忠君愛国と矛盾するようなことは言わなかった。矛盾するようなことを言ったらたちまち監獄行きである。

この忠君愛国の道徳が昭和20年に崩壊し、今までの善は悪となり、今までの悪は善になったのである。こういうことを青年時代に経験した人たちが多少なりとも道徳に対する懐疑主義をもたないで生きていたとすれば、その人は鈍感な人であると言わなければならない。

当時の日本人の大多数はこのような懐疑主義に安住していたが、一部の日本人はもっとはっきりしたイデオロギーを求めたのである。かつて軍国主義的なイデオロギーを厚く信じ、日本帝国の忠良なる臣民であった人ほど、それとまったく反対の新しいイデオロギーの信奉者になった。

そういう人は、何かとりとめもない、わけのわからない現実に対処する能力に欠けていて、そのようなイデオロギーで現実世界を解釈しなかったならば、自分というものか成り立たないと不安に思ったのかもしれない。そういう人たちにとってマルクス主義がもっとも明確に現実を説明することのできるイデオロギーであった。

このようなイデオロギーに基づく価値判断はマルクス主義をはっきり採用したり、あるいはさらに推し進めて、マルクス主義に基づく政党に入らない人の心にも残っているのである。しかしこのイデオロギーもソ連や東欧の社会主義か崩壊した後には、多くの人々の心をとらえる魅力を失ったと、私は思う。しかし魅力を失っているものの、まだ価値判断をする時に、そのようなイデオロギーでもって価値判断をする人たちが日本にはまだ多いのである。隠れマルキストは日本の社会、学界にもマスコミ界にもいっぱいいるのである。

しかしやはりソビエトや東欧の社会主義社会の崩壊の影響は否定しがたい。そのようなイデオロギーの絶対確実性の信頼を保持することはむずかしい。70歳になるが、私の世代の多くは、すなわち戦前においては、どこかであの国家主義的なイデオロギーの影響を、戦後においては、どこかで社会主義的なイデオロギーの影響を脱することができなかった。

われわれの世代は、二度にわたるイデオロギー、すなわち価値基準の崩壊を経験したのである。そのようなイデオロギーの崩壊か二度にわたって起こったとすれば、われわれはいっそう道徳に対する懐疑主義者にならざるをえない。道徳に対する懐疑主義者が自分の子どもや孫に確信をもって道徳を与えることかできようか。

われわれの世代はどのような道徳もわが子やわが孫に与えることができなかった。そして父親の多くは教育をもっぱら母親に任せたのである。母親たちは、親から代々伝おってきた道徳をもっていて、それを子どもに与えたという面ももちろんあろうが、大部分の母親たちはわが子の幸福のみを考えたのである。そしてその幸福とは、やはりよい大学を出て、よい会社に就職することにあると信じ、そして子を思う愛情の強い母親ほど教育ママになったのである。

そして教育ママは子どもに、人間がどう生きるべきかということを教えず、ただよく勉強して、よい大学へ入ることのみを教えるのである。私も深い慙愧(ざんき)の思いを込めて言うのであるか、このような父親の一人であり、教育のことはまったく妻に任せていた。そして哲学者として、教育のこと、あるいは道徳のことは避けて通ろうと考えていたのである。

— posted by St.Mac at 02:25 pm