無神論者を生み出す条件

このような人間はどのようにして生まれてきたのか。私はここで三つの条件を挙げなくてはならないと思う。一つは家庭の崩壊ということである。ピョートルもスタヴローギンもほとんど崩壊した家庭で生まれていて、普通の家庭のように父や母の愛情に育てられた人間ではなかった。

ピョートルはステパンと彼かほとんど愛情というものをもっていなかったと思われるスイス女の間に生まれた子であり、その妻とステパンはすぐに別れ、その後ピョートルは叔母の家で育てられたのである。そして父ともほとんど会ったこともなく、また父はその子がどういう人間になるかということにまったく関心がなかった。ピョートルは親の愛をもらわずに育ったかわいそうな子であると言わねばならない。

一方スタヴローギンのほうも、父とは別居し、母の男妾であるステパンに教育された。同じ家のなかで母と男妾が同居し、その男妾が息子の教育にあたっているという状況において、たとえ知的な教育は十分であったとしても、道徳的な教育か正しく行なわれると思うのは期待するほうがまちがっている。こういう状況のなかにおいて、道徳というものに強い嫌悪の心をもつスタヴローギンのごとき無神論者が生まれるのももっともなのである。

もう一つ、このような人間を生み出す原因として、やはり自由思想があるのであろう。その自由思想というのは、旧来の宗教や道徳を否定する。そして軽薄に宗教を否定するが、その結果がどうなるかを十分に問うていないのである。この小説でステパンはむしろ滑稽な人物の感がある。彼は二言目にはフランス語で気の利いた警句を発し教養をひけらかす。そして自分がむしろ権力によって迫害される人間であるというポーズを喜びながらも、コトがあると自分に禍(わざわい)が及ばないかとビクビクしている。そして彼はほとんど若い時に信じたあの危険な思想を否定するようになるが、それもまたはっきりせず、絶えず曖昧にワルワーラ夫人に甘えているのである。

ドストエフスキーは、このようないい加減な甘ったれの自由主義者から禍が生ずると考えているのではないかと思うか、その無神論が一方でその帰結を一段進めたピョートルのごとき恐ろしい破壊思想になり、もう一方でスタヴローギンのごときニヒリズムを生むとドストエフスキーは考えているのであろう。いわば神を信じない自由主義者から、このような人間が生まれるのであろうが、このような社会の転覆を謀(はか)る人間の心には深いルサンチマンが隠れていることをドストエフスキーは見逃してはいない。

小説ではステパンの周囲にいたリプーチンとか、ヴィルギンスキーとかいう人間がステパンの息子ピョートルの組織する秘密結社五人組に入って、この事件を起こすのであるが、彼らはすべて社会の下層に生きる人間であり、上層の人間に対する、それぞれ形のちがった深いルサンチマンをもっている。まったく息子を聯みず、勝手にワルワーラ夫人の男妾となったステパンにこのピョートルも怨みをもっていないはずはなく、その怨みが社会への怨みとなっている。共通なルサンチマンでもって、彼らは同志となり、この事件を起こしたと思われる。

このように、ドストエフスキーはピョートルやスタヴローギンのような無神論者が出てくる精神的背景を

  1. 家族関係の崩壊、父親の不在
  2. それを原因としている心の底に隠されたルサンチマン
  3. 自由主義的、無神論的思想の教育の影響

にあるとしている。これらのことを考えながら、今回のオウム真理教事件を考えてみょう。

— posted by St.Mac at 03:23 pm